大阪聖アンデレ教会

サンタクロースのはなし
大阪聖アンデレ教会 牧師 司祭 ヤコブ義平雅夫

今から1700年ほど昔のこと。現在のトルコ共和国のあたりに「ミュラ」という町がありました。そのミュラにニコラウスさんという男の人が住んでいました。ニコラウスさんは裕福な家の生まれだったのですが、両親が亡くなって遺産を受け継いでからは、その財産を自分のためではなく、貧しい人や、病気の人を助けるために使って働き続けた人でした。

そのニコラウスさんについて、ひとつこんなエピソードが残っています。すべて本当かどうかはわかりませんが、ニコラウスさんの人柄をよく表しているお話として、長く語り継がれているものです。
 ある日のこと、ニコラウスさんは、町の靴職人の娘が、借金のかたに売られてしまうらしいという噂を耳にしました。ニコラウスさんは心を痛め、すぐにでも駆け付けようと思ったのですが、自分の名前があまり表に出ることがないように、夜になってから、そっとその靴職人の家の屋根に上り、煙突から金貨を投げ入れておいたのでした。
 翌日になって、その家の奥さんが、暖炉の前で乾かしていた洗濯物を取り込もうとしました。すると靴下の中から金貨が何枚も出てきました。それは、夜のうちに、ニコラウスさんが煙突に投げ入れた金貨が紛れ込んだものでした。
 ニコラウスさんは、この後も、多くの人の力になり、人々に推されてキリスト教の「司教」となり、有名な世界史上の出来事となった「ニケア公会議」(A.D.325年)という会議にも実際に出席し、343年12月6日に73歳で亡くなるまで、貧しい人や病気の人を助ける働きを続けたのでした。
 ニコラウスさんが亡くなった時、人々はたいそう悲しみ、ニコラウスさんこそ「聖人」だ「聖なる人」だと言って、以来、ニコラウスさんのことを「聖(セント)ニコラウス」と呼ぶようになりました。そして、セント・ニコラウスに倣って、自分たちも12月に贈り物を贈り合うようになったのです。

この「セント・ニコラウス」という名前が、トルコからドイツ、スイス、オランダと北の方に伝えられ、少しずつ訛って、やがて「サンタクロース」と呼ばれるようになったのでした。今ではさらに北上し、いつの間にかサンタクロースはフィンランドとか北極圏にいることになっています(笑)。

 今の時代、みなさんの中で、サンタクロースが本当にいると思っている人は、あまりいないかもしれませんが、サンタクロースの絵やイラストを見たことはあるし、サンタクロースという名前は絶対に聞いたことがあるでしょう。でも町にサンタクロースがいる。それは、この世界に、あの心優しいセント・ニコラウスさんが、この世界史の中に「本当に存在していた」ことのしるしなのです。

今、アドベントクランツがここにあるのは、このクランツを作った誰かがいるということのしるしだし、ここにテーブルがあるということは、このテーブルを作ってくれた誰かがいるということのしるしなのです。ここにおにぎりがあれば、それはおにぎりを作ってくれた誰かがいるということだし、時計があれば時計を作ってくれた職人がいるということです。
 同じように、私たちも今ここにいます。私がここにいるということは、私を作ってくれた誰かがいるということなのです。
私たちをこの世界に存在させてくれた見えない神さまを、心に思うクリスマスにしたいと思います。